ウンコ気絶※長いです

こないだ仕事が終わって、飲んで帰る東海道線の中で気持ちが悪くなってしまいました。吐きたいというのでもなく、まず目の前が白っぽくかすんで急に指先が冷たくなったのです。これはやばいかも、と思ったのですが、どこまで持ちこたえられるか?という酔っ払い特有のチャレンジ精神がむくむくと無駄に立ち上がってきて、こんな僕だけどとりあえず字は読めるか?→内容を理解する処理能力は残っているか?を確かめるために本を出して読んだのです。一行消化するごとに意識が戻ってくるのが分かりました。これで峠は越えたかと過信した瞬間視界が消え、僕は後ろにひっくり返ってしまったのです。

公衆の面前で、本当に体が思い通りの動きをしてくれなくなってしまった時、そのしんどい姿を人様に嫌がられるのはとても辛いものだから、しゃがみこむのを我慢した結果倒れてしまった僕だったのに、その背中を何人分もの手が支えてくれたのです。あ、やっちゃった!と瞬時に目を覚ましたのですが、すかさず私の目の前に座っていた綺麗な女の子が席を立ち、私の肩を抱いて着席を促してくれました。そして背を受け止めてくれた方々が、口々に『大丈夫?』と声をかけて下さるのです。

畜生!みんなこんなに優しいなら倒れるまで我慢しないでしゃがみこんじゃえばよかったじゃん!!><と思いながらその声々に答えるように『まだ横浜は過ぎてませんよね?』と尋ねてみました。すると複数の方向から『まだ品川だよ』の返事が返ってきました。その合いの手のような『まだ品川だよ』で中村屋のことを思い出しました。回復までの時間(距離)と場所(席)は確保出来た。ここで初めて一安心した僕は、安らかにしばしのうたたねに入る準備を始めました。そんな乗客の皆様の優しさのお陰で僕は、ほんの短時間の間に、隣の席の人がハンサムかどうか確認してからその肩にもたれかかるという余裕が生まれるまでに回復しました。

しかし本当の試練はここからはじまる。ネ申は私に絶対に休むなとおっしゃるのか。目を閉じた途端に猛烈な便意が襲い掛かってきたのです。この熱い息吹は私の腹の中から起こるのか、それともお尻の下の椅子が盛り上がってでも来ているのか?ボディーフィールズエグジット(ウンコしたい)!!!綺麗な女性がせっかく席を譲って下さったのに、きょろきょろと落ち着き無くウンコを我慢しているような挙動不審な素振りを見せるわけにはいかない。病人は病人らしく振舞わなければいけない。僕は安らかに目を閉じ、だらりと椅子に身を預け、まさか『今猛烈にウンコを我慢している状態の人』と思われないように細心の注意をはらいました。貧血冷めやらぬままウンコ我慢の脂汗。とりあえず早く横浜に着いてくれ。途中下車してトイレ行けばいいのにと今でこそ思えるのですが、ああいう身体の制御が利かなくなったときは、どんなに傷ついてもまずは少しでも帰る場所に近づこう近づこうとするのは動物の習性ではないかと思います。スーホの白い馬が王様の矢で射られまくりながらスーホの元を目指したあの感じです。

唇がわなわなと震えだす頃、青木橋が見えてきました。『おねーさん、横浜ついたよ』と、対面に立つ紳士が狸寝入りの僕に声をかけてくれました。紳士ありがとう。せっかく起こしてくれたのに全然眠ってなくってゴメンね。

プラットホームから長い階段を下りてトイレへ。振動が引き金になるから走ってはいけない。そろりそろりと太郎冠者のようにズリ足で歩く僕の唇はあの時『ちゅー』の形をしていたと思う。トイレに入って鏡を見ると、僕の顔は真っ青で、プールサイドの貧弱っ子みたいな紫の唇をしていました。そしてやっとウォッシュレット付きのオムツ換え台付き広々個室を確保し、括約筋の緊張を一気にほどいたのでした。

するとどうでしょう。体中の血液が一気に全身を駆けめぐるのが分かりました。この2、30分間の苦しみはいったい何だったのか。脱糞一発で元気になれるこの呪わしい程の単純さ。お尻を洗って再び鏡を見ると、さっきの蒼白とは別人のような薔薇色の頬が戻っていました。

私はその後、『酔って読んだ本が難解過ぎて電車の中で目を回して倒れた。ウンコしたら一発で治った。がっかりするほど僕は健康だ。』と、今晩の顛末を妹にメールしました。すると返って来た答えは、『それアンタ本のせいじゃなくてフンづまりだよ。やっぱり血は争えないね。』というものでした。

妹も、酔っ払って駅ホームで倒れ、周りの人にトイレまで運んでもらってから個室で気絶という経験の主。気が付いた時には1時間以上が経過しており、便器には無意識のうちに排泄を済ませた痕跡が残っており、目覚めの爽快さは入道雲の立つ梅雨明けの青空ほどだったと言います。この話を聞いた時、僕は妹の中の大自然を畏れましたが、妹と僕は結局同じだったのでした。妹のメールの行間に『これで貴様もやっと大人の仲間入りだな』という意識を読み取ることができました。やっと妹に追いつきました。僕たちはこれを『ウンコ気絶』と名付け、僕たち姉妹の体質であることを認めたのです。

翌日この話を母にしました。すると母は『あら、私だってあるわよ』とすました顔で言いました。ウンコを我慢、または限界まで溜め込むと、括約筋が緊張するために、体中の血流が肛門周りに集中する。脳からも血が失せてしまい、結果として貧血となる。括約筋のうっ血が解消することで再び血の巡りが復活するので、解放後は時間をかけずに体調が復旧する。というのが元保健体育の教員の母の説明でした。ちなみに母のケースでは、お洒落なレストランでの会食中、乾杯の直後に、すぐに席を立つことが出来ず発症したそうです。食事の前に行っといてくれよ。

翌日、他社へ打ち合わせに出向く便宜上、ハイヒールをはいての通勤だったのですが、帰りの電車でもう立っていられないほど足が痛くなってしまい、前日の乗客の親切に味を占めた私は、くしゃっとその場にしゃがみこんでみました。ところが今回は完全にシカトされました。乗客というものは余力の見て取れる人間には厳しいものだということがよく分かりました。

この話に含まれる教訓は二つ。一つはこのような症状が一言で説明のつくメジャーなものであるにも関わらず、他の人から聞いたことが無かったのは、普通自分のウンコの話を嬉しそうにする人はあまりいないということ。二つ目は僕は決してスカトロ趣味のある人間ではないということ。