神田須田町の夜


昨日は、いつも忙しい忙しいと超多忙な様子のshadow君から珍しく、退屈だから遊びに行こうと要請がありいそいそと神田まで出向いてきますた。

神田須田町東京大空襲の爆撃を逃れ、明治時代からの佇まいをそのまま残した飲食店が立ち並ぶ奇跡の三角州。ほんの一角のエリアなんですが、そこだけぽっかりと明治江戸村。

神田まつや池波正太郎が愛したというお蕎麦屋さんで、まだ明るいのにほぼ満席。これは無理くせえかなあと思っていたら、相席でなんとか席をもらえた。天だねや鳥わさ、湯葉なんかをつつきながら飲み始めるとタバコが吸いたくなった。相席の爺さん二人組みの様子を観察していると二人ともタバコを吸っていないので、蕎麦屋でだらだら飲んでいるジジイは気難しくて因業と思い込んでいるわたしは、一見さんの分際でいきなりぷっか〜はまずいんじゃまいかとshadow君に相談。二人の会話が途切れるのを待って、タバコ吸っていいかと聞いてもらった。

『なんだよ〜気にしてずっと我慢してたのか〜良い子じゃまいか〜まあ飲みなよ』と相席同士の宴会が合体し、差しつ差されつがスタート。ジジイたちの話は、えー知らなかったそんなの!的おもしろコンテンツ満載で、私は本当にメモを取ってしまいますた。以下メモ書きからまるで手前が物知りだと言わんばかりに公開。ともったいぶりながら常識だったりして。

  • 神田川の源泉は井の頭池神田川から柳橋を経て隅田川(大川)に流入する。井の頭池は湧水で、かつて宮内省のお茶を入れるのにこの湧水が使われていた。そいで御茶ノ水と。
  • 早稲田のあたりは昔戸塚区と呼ばれていた。競馬場があったので高田馬場という名前が残っている。
  • 台東区は根岸区と呼ばれてた。
  • 国家・君が代の『さざれ石の巌となりて 苔のむすまで』のフレーズの意味は『さざれ石=細かい砂利』が『巌=でかい大岩』となってその上に苔が生えるまで(おおきみの世は果てしなく続く)、という意味。細かい石が大岩になるわけあないんですが、未来永劫続く天皇陛下万歳を神通力的超常パワーな表現でリリックにしたもの。

そんな源泉ばなしが最近の若者の日本語の乱れの話と合流して、そのうちに『ひらがなの元の漢字はなーんだ』クイズとなり、上の汚い走り書きはひらがなクイズの模様でつ。『え』は『ゑ』で元は『恵』だってさ。なるほど。

8時半の閉店で、shadow君はザル、わたしは蕎麦掻で〆て一次会終了。ジジイに名刺を要求されたが、今日は新規のお客さんに会うこともないだろと名刺ケースをわざわざ置いてきてしまった。shadow君は渡してた。写真を撮られてメルアドと携帯番号を交換し店先でバイバイしますた。ジジイAは故障した富士通ワープロ用フロッピーに収めた書き溜めたテキストを読み出せなくて困ってるとの話だった。そっちはshadow君の専門分野なので、そのフロッピーを書きだしてアーカイブにまとめてあげたら喜ばれるし、万が一すると中身に凄いスリーピングビューティが発掘されるんじゃまいかと意地汚くせっついてみますた。飲んでるのに脳みそフルスピード回転の二人のジジイには油断してると斬られる感触満載で、久々にパリっと飲んだ感じ。ジジイたち全然因業じゃなかった。ジジイたちありがとう楽しかったです。shadow君ゴチ!もうちょっと寒くなったら次はいせ源のアンコウでおながいしまつ。

最後にまつやのレジの写真。正式名称『ナショナル金銭登録機』。すごい。これにて第一回江戸歴史博物ツアーアーカイブ化作業コンプリート。tk普通に日記じゃん。